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    July 24

    カレーの流儀

      最近なぜだか分からないが、昔のことばかり思い出す。
     たとえば、カレーライス。
     
     大学の語学のクラスで仲のよい友人2人とスタンドカレーを食べたときのこと。
     カウンターに並んだ食べ終わりの3枚の皿が、見事に3者3様だった。1枚はルーとご飯を豪快に混ぜて食べるので全面にルーがべっとり。ごはんつぶも残るきたない食べあと。1枚は真ん中あたりで適度に混ぜて食べるので、片方の端はきれいだが、真ん中あたりからもう片方までお皿の3分の2ぐらいがルーの色になっている。最後の1枚は、ルーとご飯の境目がきっちり皿に現れていて、ちょうどその線がお皿を2分している。
     
     その皿を見て、佐賀出身の訛り丸出し○泉くんが、「カレーの皿にも俺等の性格が見事に現れているなあ。」と感嘆の声を上げた。確かにそうだ。ちなみに私は最後の几帳面な皿。彼は今、何をしているのだろう。大学卒業して何年かして、司法試験に合格した、という噂を聞いた。人のいいやつだったが、何とかやっているのだろうか。バリバリやっている姿はとても想像できない。
     一番汚い皿のもう一人も、うちの出身大学としては異質な道を歩んでいることだろう。カメラマンになりたいといって、卒業して専門学校へ行ったという話まで聞いたが、その後何をしているのか。
     
     カレーを食べるたび、あのときの皿の模様を思い出す。
    July 22

    くずし

      今、養成で面白い授業を担当している。
     
     方言体験。
     
     これは、教授法の授業の中の1つで、学習者の気持ちを体験するために、全く知らない言語の授業を体験する授業である。
     うちの日本語教師養成講座では、直接法という教授法を採用している。直接法というのは、例えば、英語を習得したいなら英語だけで授業を進めるという教授法だ。だから、目的言語しか使えず、文法説明を自分の母語で聞けないので、状況やジェスチャーのみで意味を理解し習得しなければならない。つまり、外国人に日本語を教えるとき、日本語だけを使って教えるわけである。
     
     方言体験とは、その直接法で教わる学習者の大変さを、自分たちも知らない言語で体験しようという趣旨の授業である。ちなみに、「外国語体験」というあまり知られていない言語での授業もある。(デンマーク語、福建語、フィリピン語など)
     
     私は、伊予弁の授業を担当している。伊予弁で、名詞を10個、「これは~です」、「これは~ですか」「はい、~です。/いいえ、~じゃありません。~です。」の文型を教える。
     日本語の一つと思ってあなどることなかれ。これが結構難しい。次の名詞の意味、分かりますか。
     こーぼいも
     やいと
     せんざんき
     どばんこ
     くずし
     
     一番上は、じゃがいものこと。次は、関西の人にはなじみがあるだろうが、お灸のことだ。3,4についてはご自分で調べてください。
     
     最後は・・・・「じゃこ天」のことである。
     でも、授業をやっていて、「じゃこ天」と言っても分からない場合が多い。知らない人は、全く知らない。
     ただ、写真を見せるので形は認識してもらえる。しかし、さつま揚げとの違いや原材料などの説明は必ず必要だ。
     
     前置きが長かったが、ここからが本題。
     
     今夜、祖母のところから練り物が届いた。例のおじ・おばと住んでいて、実際に荷物を作ってくれたのは、たぶんあのおばだ。
     おばの実家は練り物屋で、そこのじゃこ天がすごくおいしい。「若松蒲鉾店」という。
     じゃこ天とは、簡単に言えば、魚のすり身を揚げたものである。愛媛ではこれを「天ぷら」とよく言う。
     
     祖母に20時半ごろ電話したら、もう床に就いていたらしく、最初は寝ぼけ声だった。
     でも、私が名前を告げると、ああ、よしくん、くずしは着いたがかはい、と大声で答えてくれた。(祖母の住んでいるあたりでは、「住んでいるの?」と疑問文につける「の」や「~の(ん)です」の「の(ん)」を、「が」という。「~はい」は女性がよく使う接尾語。)
     
     
     祖母はもう米寿に近い。でも、全くぼけず、4,5年ほど顔を見せていない私のことをしっかり覚えている。
     先日、おじおばが来たときに撮った写真を、メールでおばに送ったら、それを自分も見たらしく、
    「だいぶ貫禄がついてきたなあ」と言っていた。
     
     「くずし」という言葉は、そういえば祖母がよく使っていたことを思い出した。荷物は開けるなりすぐ食べた。野菜入りのくずしだ。純粋なくずしは明日の朝食べよう。
     
     
     
    July 17

    シェークスピア歌舞伎(十二夜)

     先週、7月大歌舞伎を見に行った。今月はシェークスピアの「十二夜」を蜷川幸雄が歌舞伎で演出するという、トリッキーな演目だ。実はこの試みは一昨年に引き続き2回目だ。
     幕が上がり、いきなり鏡張りの舞台。これには驚いた。単に驚かせるだけでなく、この装置によって狭い舞台に奥行きを与え、3階席からもどの席からもいろいろな方向が見えるように配慮が届いている。役名は原作を翻案した名前で、これがけっこう面白い。たとえば、「オリーフィア」は「織笛姫」、「セバスチャン」は、「斯波主膳之助」、という具合だ。
     現代の人が手がける歌舞伎は面白い。現代的な部分も入れつつ歌舞伎の部分を残すのだが、人によってその部分が違う。歌舞伎として残すところはどこなのか。例えば、玉三郎の演出で、義太夫を使わず琴をメインにして音楽とセリフを進めたことがあった。照明も含め、あれはあれで現代的な歌舞伎だった。それに比べると、意外にも今回の作品は、所謂「歌舞伎らしさ」があちこちに散見された。義太夫にしろ、台詞回しにしろ、古典をふまえた台詞にしろ。でも、シェークスピアらしさもどこかで必ず顔を出す。「いにしえは深草の少将さえも云々」など、故事をふまえたいかにも歌舞伎らしい台詞があったかと思えば、「ぼくの手をとってもいいよ」「とってもいいお考えだとは思いますが、あなたのお手は、酒蔵のとびらのとってにとっておいておかれるほうがよろしいでしょう」「どうして?」「とっておきのお酒がありますから」のような、駄洒落、コトバ遊びをちりばめた小田島雄志らしい台詞もある。この織り交ぜ加減が絶妙だ。歌舞伎をベースにおきつつ、シェークスピアファンのことも忘れない。
     シェークスピア劇と歌舞伎はほぼ同時期に成立した。作者でいうと、近松門左衛門の頃だ。洋の東西に、同時期に戯作者が現れるこの偶然。そして時を超えこの二つが融合するすばらしき奇跡。
     舞台は本当に満足の行くものであった。
     
     でもこうやって融合されると、歌舞伎とシェークスピアの違いが際立って感じた。舞台装置の微妙な違い(波の表現方法など)もあるが、それよりも大きな違いは、役の表現方法だ。シェークスピアでは、一度キャラクターが決まると、そのキャラクターで最後まで演じられる。それに対し、歌舞伎では、(善玉、悪玉がはっきり決まっているものもあるが)、実はいい人だった、実は悪役だった、というような個性の変化がよく起こる。このあたりは、最初から何でも2項対立にしてある西洋とのメンタリティの違いを感じる。また、最後に役者が全員出てきて大団円、というのも歌舞伎にはない終わり方だ。このあたりも面白い違いだ。
     
     このストーリーにはいくつかキーワードが設定されているのも、いかにもシェークスピアらしかった。一つは、ピエロが語る「あほう」という言葉、もう一つは、弱虫のおぼっちゃま貴族の発する「ぼくぅ~」という一人称である。歌舞伎のような提携表現がない代わりに、ストーリーに1本筋を通すキーワードに、テーマ性みたいなものが込められているような気がした。歌舞伎はそれに対し、テーマは最初からはかなさとか義理人情などに決められていて、自分たちから台詞で主張するものではないように思う。
     
     歌舞伎がだんだんおもしろくなってきた。継続は力なり。
    July 16

    おしりかじり虫

      くだらないはなしで やすらげるぼくらは / そのおろかさこそが なによりもたからもの(「愛の言葉」 by spitz)
     
     ある休日の午後、日本語教師の友人4人が集まり、みんなでお食事。新宿京王プラザホテル1Fの「麓屋」というフレンチレストランだ。
     そこはフレンチなのに蕎麦をウリにしている和洋折衷レストラン。信州出身のK先生御用達だから、蕎麦のほうはまちがいない。
     
     趣味の話だとか、方言の話だとか、話題は尽きなかったのだが、そこでなぜか印象に残っているのが「おしりかじり虫」
     確か、日本語教育の初級教材の話をしていて、何かみんなで楽しめるものはないか、という中で出てきたのだと思う。お子さんがまだ小さいN先生が出したアイディアだ。NHKの「みんなのうた」にこれがあるのだという。何とも不思議なタイトルだ。彼女によると、何でもおしりをかじることでコミュニケーションをとるというような意味の歌だということだった。
     
     うちへ帰ったら、N先生からメールが届いていて、「おしりかじり虫」のyou tubeのアドレスがついていた。早速みた。
     全く意味不明の歌詞。最初は確かに、「おしりとおしりでおしりあい かばとかばとでかばいあい」などと、コミュニケーションを意識した?歌詞もあるが、途中からは、「都会のおしりは苦かった」など変なことばかり言っている。メロディがとにかく耳に残る。
     
     こんな話題で盛り上がれる時間がいとおしい。連休中、しっかり休もう。
     
     
    July 13

    マイクロトマト

    「お~よしくん、元気にしよるが?」
    佐田岬半島特有の方言とアクセントのおばの声が新宿のホテルのロビーに響いた。
    「うん、なんとか元気にしよらい」私も久々に方言で答えた。
     
     ウィークデーが始まったばかりのある日、急に愛媛の田舎のおじ・おばに会うことになった。
    何でも定年で仕事を辞め、東京の友達のところに遊びに来たついでに誘ってくれたようだ。この親戚とは二年ぶりぐらいだろうか。ホテルのレストランで、久々のディナーと方言のコミュニケーションを堪能した。
     
     その前菜で出てきた「マイクロトマト」。その大きさが分かるだろうか。オリーブの実とも比較しているのでぜひよく見てほしい。
     
     方言も魔法の言葉。さんざんしゃべった後、帰りの電車で涙が出そうになった。
     
    July 08

    天漢

     昨日は結婚式がとくに多かったそうだ。なぜなら、昨日の日付は「07’07’07」のトリプルセブンだから、だそうだ。
     そうか、その日を目標に相手を探すという考え方もあったな。
     それはさておき、タイトルの「天漢」という言葉を見て、何を連想するだろうか。6日にまたお茶のお稽古に行ったのだが、その宗匠の床の間にあった掛け軸の画賛の漢詩の中の言葉である。「水天漢従り落つ 山画屏に列なりて新たなり」孤峰不白の蹟によるものだ。不白の自作かもしれないし、誰かの漢詩を引用したのかも知れない。さすが、家元。時節にあった掛け軸を出していらっしゃる。「天漢」は、万葉集にはよく出てくる言葉で、万葉では音ではなく訓で「あまのかわ」と読ませている。掛け軸の絵の景は、那智の滝なのかどこか分からないが、滝から落ちる水を天の川の水のしたたりと捉え、峯の絶壁を「画屏」の列なりとしているところが何とも面白い。「漢字」の「漢」は、もともと国の名前であることはご存じの方が多いと思うが、さらに言えば、川の名前の「漢」が地名に転じたものである。
     それにしても、お茶はいい。日常忘れていたものを思い出す。お稽古の控え室であまりよく知らない方から「暑いですね」と声をかけられた。仕事場にいると、この当たり前の挨拶を忘れがちだ。言葉がどれほど心に染み入ったことか。
     
        茶の香染む言の葉すがし 夏座敷   藻思 
      
    July 02

    もう7月

     この間、ある人から「そのネクタイ、お母さんに選んでもらっているの?」と聞かれた。
     その質問は、非常に意味深な質問であった。その人は一体私のことをどう思っていたのだろう。
     確実にいえることは、私が東京出身で、家族と暮らしている、と思われていたらしい、ということだ。そこからが問題だ。私が母親にネクタイを選んで買ってもらう人間に見えた、ということ。う~ん。この間、このブログでも年のことを書いたが、この年と知っていてそういう人間に見えるってどういうことなのだろう。
     さらに重要な問題がある。なぜその人は、唐突にその質問をしたか、ということだ。私のその日のネクタイについて何か言いたかったに違いない。そのネクタイを、センスがいいと見ていたのか、それとも「こんなセンスの悪いネクタイ。。。」と思っていたのか。(今日のネクタイの)「センスがいい」と思っていた場合、〈この人(=私)にそんなセンスはない、母親がいいセンスしているのかしら〉と思われたのだろうか。また「センスが悪い」と思っていた場合、〈この悪いセンスはこの人なのかしら、それとも母親の責任なのかしら〉と思われたか。
     
     一応、自分が一人暮らしで、自分で選んだことを主張しておいた。ちなみにその日のネクタイは、白地に鮮やかなグリーンのストライプが斜めに入っているもので、私のお気に入りの一つ。
     
     じめじめした日が続きますね。外は雨が降り出しました。女性のすすり泣く声も聞こえます。痴話ゲンカのようです。
     
     もう7月ですね。