haruka's profileたわわなわたし2PhotosBlogListsMore ![]() | Help |
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March 31 katsumi明日からもう4月。この前の週末、ようやく公開講座が終わり、今日、うちの校舎の勉強会を終え、今年度が終わる。 2007年度は良くも悪くも「日本語教育スタンダード」に奔走した1年だった。このblogにも書いたが、ちょうど1年前の3月末に、日振協の研修に参加したことから始まり、私はすぐ研究会の設立と嘉数先生を招聘しての公開講座の企画を立案したが、なかなか認めてもらえなかった。しかし、その後、外部研修や学会には参加の機会が与えられ、1年後のこの3月、自分の企画が通ったとは言い難いが、結果的にうちの学校での研究会が発足し、公開講座に嘉数先生をお呼びすることができた。 公開講座のあと、教師養成講座でその日修了したばかりの学生との飲み会に参加した。I先生、N先生と私は1次会が終わった後、二次会へは行かず、神田川沿いの夜桜見物を決め込んだ。腹ごなしに1時間ほど歩いた。かなりきつかった。でも、桜は本当にきれいだった。 講演をなさった嘉数先生は、桜が満開のこの週末、わざわざこの講座に参加してくれた参加者へのお礼として、短歌をプロジェクターに映してプレゼントとした。私はこの手の洒落っ気は嫌いではない。昔は私も短歌を作ったりした。彼の歌はこうだ。「空を染め また地を染める 桜花 枝に萌黄の 色を残して」。雅号は「華摘」。反射的に、「カテキ」と音読みした。花盗人、のような意味だろうか。おしゃれなネーミングだ。 しかし今朝、その理解が浅はかだったことを思い知らされた。そうか。彼の下の名に掛けて、「カツミ」と読むのか。よく「菜摘」で「ナツミ」と読ませたりするのに、どうして気がつかなかったんだろう。その昔は、常に掛詞をチェックして言葉のダブルミーニングを考えていたのに・・・。頭がだんだん変わってきたと実感するこのごろだ。 March 30 米寿少し古い話になるが、先週の土日に久々に帰省した。祖母の米寿のお祝いのためだ。 母方の祖母は今も健在で、自分の身の回りのこともほぼ全部自分でしている。私はほんとにたまにしか戻らないのでよく知らないが、でも、耳が遠い以外それほどとくに悪いところもない。田舎の建設会社の社長だった祖父を最後まで支えた、日本の母の鑑だ。 祖母の住んでいるところは、愛媛の自分の父母の家から2時間ほどかかる。今回は土曜に仕事があるので、土曜の夜遅くに帰り、日曜の午前のお祝いの食事会に参加し、夕方には東京に戻る、というかなりのハードスケジュール。そこで、土曜の夜は、祖母と同居している叔父叔母に迎えに来てもらって、祖母の家に泊まることにした。 21時頃松山空港に着き、近くで軽い食事をし、祖母の住む伊方町へ向かった。車で約1時間半。着いたらもう12時前だった。 叔父が、2世帯住宅の自分の家の方へ来るよう勧めてくれたが、祖母が寝る部屋のとなりに私がいつも泊まる部屋があり、そこにすでに私の布団が用意されていた。祖母はいつも9時過ぎには就寝する。もちろん眠っていた。 次の朝、祖母に久し振りに会って話した。元気そうだった。「掛け布団だけ、しもうてくんなはいや。押入れの上の段はたこうでとどかんがよ」掛け布団だけじゃなく、全部やってくれ、と言えばいいのに。本当に元気だ。 私は、祖母にとっての初孫ということで、簡単なスピーチをさせられた。本当にいつまでも変わらないばあちゃんだ。ただただそのことだけを述べて、簡単に終えた。 この1週間、珍しくアクセントが少しおかしかったらしい(自分では意識できなかった)。「5番教室」の「ごばん」のアクセントが、「ばん」ではなく、「ご」にある(頭高)らしかった。今までこれで注意されたことはなく、急に「アクセントがおかしくなったよ」と言われた。言葉というのは、相変わらず面白い。 March 12 ゆひらあるクラスで久々に、和歌や俳句、連句の授業を行なった。 いつも、こんなんでいいのかな、と迷いつつ教えるのだが、今回は、少し自信を持って教えられた。 日本語の授業はだいたいいつも、教師が日本語の意味を一方的に教えることを目的とする。でも、こういう創作活動というのは、自分で新たな意味を創り出してもいい、というより、積極的に自分だけの意味を創り出すことを目的とする。言葉を自由に扱うことの究極はそこだ。 「体温計くわえて窓に額つけ 「ゆひら」と騒ぐ ゆきのことかよ 穂村弘」 この歌の解釈を毎回みんなに考えてもらうのだが、今回、新解釈が出た。ふつうは、体温計を加えた女の子が、風邪をひいているのに、窓に額をくっつけて「雪だ」というつもりで「ゆひら」と言って騒いでいて、それを、見舞いに来た彼氏がつっこんでいる、という図式で解釈する。でもあるグループで、「これは、子供が騒いでいるのを見ている親だ」という解釈が出た。 確かに、雪だ雪だと騒ぐのは子供と解釈するのが自然かもしれない。「ゆきのことかよ」というつっこみの入れ方が、私には親子のように感じられないが、もしかしたら最近の親子というのは、そんな友達のような関係なのかもしれない、と思った。こういう解釈の多様性を認めることが、異文化の理解にもつながると思う。 |
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