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    March 26

    サムゲタン

     念願のサムゲタンを食べた。
     新大久保の韓国料理屋。予想を超えておいしかった。ふう。汗が吹き出る。やわらかい骨付き鶏肉、不思議な風味の朝鮮人参、鶏肉のおなかで煮込まれたもち米。どれを口にしてもうまい。どうしてもっと早く食べに来なかったんだろう。
     
     本校で教えていた学生が次々と帰る。そのうちの一人が、卒業式の○日後にメールを寄越した。上級クラスの学生だ。何かごちそうしたい、というので、お言葉に甘えて「サムゲタン」をリクエストした。今までいろいろな学生と韓国料理を食べに行ったが、サムゲタンだけは食べたことがなかったからだ。
     
     サムゲタンは、注文してから出来上がるまで時間がかかる。その間、これまでの思い出話に花を咲かせた。4月にインタビューを受けたときに初めて会った学生で、その後クラスも担当することになり、そのグループと仲良くなった。私が本校を離れた10月以降もたびたび連絡をくれて、みんなでおいしいものを食べに行ったり歌舞伎に行ったりした。うちに招待されたこともあったっけ。
     
     彼女は「おいしいですか」と何度も尋ねた。私はそのたびに「本当においしいよ」と答えた。そのうち、尋ねられなくても答えた。彼女は非常に満足そうだった。
     でも、彼女の表情はいつものように、どことなく暗かった。4月はあんなに希望や喜びに満ち溢れていたのに、いつからこんな影を落とすようになったのだろうか。日本での生活はわれわれの想像以上にいろいろあってつらいに違いない。
     
     「先生、私は最近、疲れているとかだるそうだとか、よく言われます。そんなに疲れているのではないんですけど。。。」
     「それが、魅力的に見えることもありますよ。”アンニュイ”という言葉をしっていますか」
     私はその言葉の意味・ニュアンスを教えた。彼女にとっては、これが、日本で覚える最後の言葉になるかもしれない。
     
     「じゃあ、ここでさよならですね。国へ帰っても元気で」
     道の真ん中で唐突に別れが始まった。彼女は例のごとく憂いを帯びた顔だったが、どこか少しはにかんだ笑顔もわずかに混じっていた。「さよなら、アンニュイ」私は心の中でそっとつぶやき、明るく別れて新大久保の駅のほうへ足早に歩き去った。サムゲタンのぬくもりがずっと胸の奥に残っていた。
    March 22

    春の歌

     休日の仕事も終わり、風邪もほぼ全快した。3月下旬にしては寒いが、寒さの中に、春がここかしこに飛び跳ねているかのようなオーラが孕んでいた。
     
     けるるんくっく、けるるんくっく。
     
     横浜からの帰り道、線路沿いの菜の花に心奪われた。黄色、黄色、黄色。友人と春の四国路を旅行したことを思い出す。田舎は菜の花畑が夕陽の見える海まで続いているんだろうな。菜の花や昼ひとしきり波の音(蕪村)。電車のかごが時間と空間を歪めて心地よい揺れをかもし出す。
     
     茶道を習っていないにもかかわらず、毎月何回かお茶会に出ていた時期があった。都合3年ぐらい続いた。ある年の2月、きんとんの生菓子の「菜の花」が出た。確か、鶴屋八幡というお菓子屋だったと思う。次の月も「菜の花が」出た。3月の「菜の花」は、2月に比べて緑の部分が少なく黄色い部分が多かった。お菓子のほんのちょっとした装いにも季節感を出すその繊細さに感動した。
     
     「思い出のレコードと 大げさなエピソードと 疲れた肩にぶらさげて しかめつらまぶしそうに」(ロビンソン)
     もうすぐ日本語教師の専任講師になって丸1年が経つ。どうだったのかな、この一年。楽しかったといえば、楽しかった。新しい季節の始まりは、期待と不安が入り混じり、たぶん、不安の方が大きくて、大きくて。乗り越えるのに必死だった。それにてれも加わって、いつもしかめっつらだったんだろうな。今もそうか。それにしても、周りのメンバーには救われた。
     
     ほっ、まぶしいな。ほっ、うれしいな。
     
     日本語教師になる前の思い出は、とりあえず肩から下ろした。あとは、迷いだとかプライドだとか、横へ置いて、虚心に向かうことが何より大切。なのかな。
     
     菜の花や 鯨もよらず 海暮れぬ(蕪村)
     
     
    March 18

    連歌の不思議

     大河ドラマを見ていたら、武田信玄(晴信)の父、武田信虎が、今川義元などと連歌を行なう場面が出てきた。そこにいた四人がそれぞれ一句ずつ詠んでいく。連歌というのは、前の句に合わせてルールに従って句をつけるので、あるところで詠んだ句は自分以外の人間に成り代わって気持ちを詠むことがほとんどだが、その虚構の中にこそ、意外に本音が出る。また、自分の句にうまく付けた人がいると、自分の心をよく汲み取って下さった、と思うものである。
     今川義元が最後に付けた句は「晴れし心に戻る甲斐なし」という句だった。息子晴信を甲斐の国から追放するつもりだった信虎は、我が意を得たり、と義元に自分の意を理解してもらったことを感謝する。しかし実は、晴信と義元は密かに通じていて、今川義元を訪問して甲斐の国へ帰る信虎を、国境で駿河の国に追い返すことをすでに二人で取り決めてあったのだった。信虎は国境で追い返されて、初めて今川義元の付句の真意を知る。
     
     戦国時代の連句としては、織田信長を本能寺の変で滅ぼす明智光秀のものが有名だ。「時は今 あめがしたしる さつきかな」この発句は、「時」が「土岐(明智光秀の母方の姓)「雨がしたしる」の裏に「天が下領る」という光秀の真意が隠されていた、とされる。これら戦国時代の例を見ていると、歌には予言の力があるのかとさえ思えてくる。本来は、連歌というのは舞台の上の台詞と同じ虚構であるはずなのに、そこに真実の言葉、意志の言葉がかいま見える。そう思うと、歌も捨てたもんじゃない。
     
     2月のある日、もう帰国するという学生の一人Uと会った。昨年4月から9月まで教えた学生の中で一番仲のよかったグループのメンバーだ。そのグループの四人のうち、2人はもう昨年10月に韓国へ帰った。帰るUと、今年も勉強するYとわたしと三人で大久保で飲むことになった。近況とか、たわいもない話ばかりだったが、最後に何か、ちょっと日本の文化を味わってほしいと思い、即興で連歌をやってみた。残念ながら、そのときのメモをなくしてしまったのだが、発句はUが詠んだ。日本はよかった、というような内容だったと思う。私の付句は、心はもう韓国へ飛び立っているんじゃないの、とちょっと意地悪な句。3句目をつけるYは、しばらくつけあぐんでいたが、急に悲しい声を出して、「私は本当にさびしいんです。どうしてみんな帰っちゃうの。私ひとりになっちゃうの。」と言い出した。この、場の空気の変化に、私は衝撃を受けた。連歌ってすごい!
     その後、今までの思い出やこれからのことなど、いろいろ本音で語った。連歌は、誰かが句を作り、その句の意味をみんなで読み、語り合い、また誰かが句を作る。言葉そのものに本当にみんなが集中する遊びだ。しかも、読む・書く・話す・聞くの四技能すべてを使う。日本語の教材としてもすぐれている。でも、連歌の一番すごいところは、自ずと自分の真実の言葉を紡ぎだすことができるところだ。
     
     ちなみにその日の連歌はUの次の句を挙句とした。「恋しいと思うは日本のビールだけ」
    March 15

    春を感じて

     東京は完全に春の日差しだが、つきぬける青い空の中の空気はまだひんやりとしている。
     三寒四温とはよくいったもの、2月より冷たく感じる日と4月の陽気が入れ替わり立ち代わり現れては消えていく。
     「春」という言葉があるからこそ3月を寒く感じるのかもしれない。今が春だとかいつだとか思わなければ、それはそういうものとして納得するのだろう。春なのに、という気持ちが寒さを一層際立たせる。
     
      また歌舞伎に行った。今日は1日がかり。「義経千本桜」の通し狂言だ。
     最初の「鳥居前」では、伏見稲荷の神社に梅が咲いていて初春の気、忠信と静御前の道行では吉野の桜が満開、また最後の川連法限館でも桜の庭のある屋敷が舞台だった。3月の舞台に相応しい演目を並べている。
     先月の「仮名手本忠臣蔵」もそうだ。お軽と勘平の道行の場面では、菜の花が背景となっていた。塩冶判官(浅野匠頭)が切腹するのは桜の季節である。春を先取りした演目の配置だ。
     歌舞伎座の地下食堂のそばやでは、白魚のてんぷらそばがメニューにあった。友人は「気持ち悪い」と言ったが、私は迷わずそれを食べた。白魚はうまいし、うまいうまくない、よりも旬が大切だ。
     外国人は、桜の花を見てどう感じるのだろう。散り際のはかなさを感じることができるのだろうか。ふとそんな疑問が頭をよぎった。
     古今集以来、桜ははかなく美しいもの、という感覚のDNAが日本人には埋め込まれている。実は、桜だけでなく、季節の景物は何かしら別のイメージと結びついて記憶されてきた。梅は色より香を味わう花、橘はなつかしさ、蛍は夜、恋の思ひの火で身を焦がすもの、などなど。そういった伝統を踏まえて歌舞伎が成り立っているのだと思うと、その伝統の強み、物語の奥深さに、ただただ圧倒される。
     
     「義経千本桜」の千本桜は、この物語に登場して消えていった多くの人たちを象徴しているのだ、とイヤホンガイドの解説を聞いたとき、おお、と思わずうなってしまった。「いがみの権太」の最後の場面である。この物語のストーリーを詳しく述べることはしないが、少しだけ。「いがみの権太」というのは、その名の通り性格がいがんでいてゆすりたかりを日常とするワルなのだが、歌舞伎によくある話で、そのワルが改心して最後に善行をするのだが、父親にその善行を悪行と誤解され、その父親が彼を刀で刺す。その今際のきわに、父親の誤解を解いて父の腕の中で安らかに眠る、と思いきや、実はいがみの権太の、妻子や身を挺しての善行が無駄だったと明らかにされる。「いがみの権太」は仁左衛門が演じた。上方風にアレンジされた権太は、ケレン味が増しかっこよかった。それにしても、それだけ人を魅了したキャラクターの死が、最後に無駄だったと明かされる最後の場面はあまりにはなかすぎた。そこにきたのが、イヤホンガイドの解説だった。
     
     季節の言葉を外国人に教えていくのは難しい。でも、季節の言葉にこそ、日本語の醍醐味や日本の文化がつまっている。歳時記は輝く言葉の宝庫だ。
     
     新しい季節の始まり 華々しい苦節の終わり
    March 11

    同窓会

     土曜の夜、昨年の10月から12月まで教えていた日本語クラスのメンバーの飲み会があった。
     韓国人が5人、香港人1人、日本人3人。合計9人。(うちオメデタ2人)
     
     最近日本語クラスから離れているので、こういう集まりは久しぶりだった。
     同僚の非常勤の講師とも久々に言葉を交わし、近況を話し合った。距離は近いのに、専任と非常勤はなかなか話す機会がない。仕事内容も違うから仕方ないのだが。彼女がオメデタであることもこの日はじめて知った。情けなや。
     
     今も日本語学校に通っている人、日本で順調に働いている人、もうすぐ母国へ帰る人、さまざまだが、こうやって無事を確かめ合えるのはすばらしいことだ。日本語もそれぞれうまく(?)なっている。「何言ってんだよ」「~~じゃん」などくずれた言葉が多いのも考え物だが、まあよしとしよう。
     
     話は変わるが、休みがちなこのブログがようやく1000アクセスに達する。ありがたいことだ。ここ1ヶ月ほど、自分の文章に疑問を感じて更新をほとんど止めていたが、まあ無理せず続けようと思っています。いつも読んでくださるかた、本当にありがとうございます。
    March 02

    舌の根のかわかぬうちに

         舌の根のかわかぬうちに
     
     息がつまるくらい
     ことばがたりなくて
     
     見えないカベに
     はばまれて
     
     生きることは
     たいへんだけど
     
     いつか気持ちが届く
     その日を信じるしかない
     
     
     ひからびたことばやかりてきたことばは
     甲子園の炎天下の汗のように
     だらだら流れるのに
     
     心の扉を開くことばのかぎは
     いつ取り出すことができるのだろう
     
     
     あたたかいコーヒーも
     いつかは冷めてまずくなる
     
     大切な人の大切な言葉は
     大事に胸の奥にしまって
     
     
     舌の根のかわかぬうちに