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    December 17

    ミュージカルと歌舞伎

     同僚のN先生、I先生に誘われ、ミュージカルを観た。Y校のSさんも来た。ミュージカルは2回目だ。ドミニカに旅行したとき、帰りのニューヨークで一泊した際にブロードウェイのミュージカルを見た。

     ブロードウェイではそれほど違和感を感じなかったのだが、台詞が歌、というのはやはり変だ。歌舞伎も、台詞に節がついているのだが、いわゆる五七調だから、日本語の調べにフィットしている。ミュージカルは、台詞が外国語の直訳だから、日本語自体生硬な感じがする上、その論理的な展開がメロディに乗るのがなんともついていけない。英語で聞いたときは、それほど変に思わなかったのだが、ポップ調のメロディにリリックでない日本語が乗せられるのはおかしい。

     加えて、ミュージカルは歌舞伎と違ってナレーションが入らない。にもかかわらず、現代劇とも違ってリアルでなく約束事で成り立っている部分が多いから、役者がその役のままストーリーテリングを行なう。それも歌で。それが何とも変だ。

     最後の方にはようやく慣れて、十分楽しめた。「モーツァルト」という外国のミュージカルを日本で上演したものだったが、モーツァルトが大司教の支配を逃れ、自由を獲得する、とか、革命を起こして権力者から解放される、だの、「ザ・近代」的なテーマだった。分かりやすくはあるが、少々古臭く感じた。踊りに関しては、ブロードウェイの方がずっとうまかった。というか、エンターテインメントを意識する、という点が根本から違う気がした。

     ミュージカルを見て、常に歌舞伎と比較する自分を感じた。自分が歌舞伎にこれほどどっぷり浸かっていることに驚くとともに、歌舞伎が芸術としてどれほど完成されているのか、ということも分かってよかった。ブロードウェイも、あれはあれで完成されたエンターテインメントだ。

    December 11

    ココロ

     今月の朝の横浜出勤は今日で3回目。今年はあと1回で横浜出勤は仕事納めになる。

     最近は横浜駅の1階にあるスタバのパンコーナーがお気に入りだ。以前はその近くのアンデルセンでよくパンを買っていたのだが、スタバの店員の接客のよさ、挨拶の明るさが気持ちよく、ついついそっちに行ってしまう。横浜校に着くと、まずコーヒーを淹れる。そして慌しく授業の準備をしながら朝食を摂る。

     授業が終わると、次々に9月修了の横浜校の卒業生が三人来た。1人はよくここへ来るMさん。日本語学校に就職して元気に働いている。ちょっと考えすぎるところがあって、それが彼女の欠点でも長所でもあるのだが、たまに相談のメールを寄越す。この間は、「~つもりです」と「~予定です」の違いを聞いてきた。受講生時代、実習1で教えたのになあ、と思いつつも、ここは説明に慣れているのでいろいろサービスして書いて送った。Kさんはようやくやる気になって、今就職活動中。かと思ったら、なんと明日からフランスへ旅行するという。大丈夫かなあ。受講生の時はあまりしゃべらず、黙々とやるタイプだった。就職希望先から教案の提出を求められたので、先生見てください、と教案を持ってきたが、その教案は、しばらく何もやっていなかった割にはしっかりしていた。いい就職先が見つかるといいのだが。Hさんは、修了を延期して取り残した授業を出るため時々学校に来る。ようやく来週卒業になる。

     いくつか相談事について話した後、みんなでお昼を食べた。受講生と学校外で会うことは禁止されているので、ようやく彼女らが卒業してこういう機会を持てたのは本当にうれしかった。「ココロ」という、全国にいくつかチェーンのある、まあまあ有名なカレー屋に行った。スープカレーのお店で、Mさんは北海道の大学へ行っていたとき、アパートがこのお店の本店のすぐ近くにあって思い出のお店だそうだ。私は牛肉とごぼうのカレー、KさんとMさんはここの基本メニューである骨付きもも肉のカレー、Hさんは14種の野菜カレーだった。ここは、カレーの辛さとご飯の種類(白米or玄米)、量が選べる。私は辛さの段階をいつも2か3にするのだが、彼女たちは平気で10にしていた。ちなみに3が中辛である。

     みんなの悩みについていろいろ聞こうと思っていたのに、いつの間にか私が質問攻めに遭っていた。私の年齢も知らなかったらしく、今となってはかくすほどのことでもないので正直に答えたら、へんな間があった。今までどう思っていて、本当の年をきいて、どう思ったのだろう。日本語教師としてどのぐらい経つのか、今までどんな仕事をしていたのか、などなど、いろいろ聞かれた。そのうち、私の悩みを打ち明けている始末。挙句の果てにHさんから、「先生は作詞して音楽をつくるのが向いているわ」などと夢のようなことを言われた。作詞は勘弁してほしい。

     みんなそれぞれの人生を歩み始めている。それを眺めていたり、ときどき声をかけたりするの悪くない。すぐ眠くなるほどおなかいっぱいになって、みんなと別れた。東横線の電車で眠りこけた。

    December 09

    先週のたわわごと

     先週のある夜、同僚の非常勤の先生方と忘年会を催した。場所は、馬場のイタリアン「おもだか」。前はときどきランチに来ていたのだが、最近はごぶさただった。ここも、いろんな人と来てるなあ。photoの馬場グルメでも2回ほど紹介しているし、ブログ記事でも出てきている。今日は「イタリア鍋」だ。

     メンバーは、いつもの遊び仲間K先生、TI先生を中心に、研修がわたしと同期のKS先生、男性のF先生、私と同じ校舎でまだ半年のキャリアのTK先生、の6人だ。鍋を囲んでみんなと話すのはこの人数が限界だ。8人だと、グループが2つに分かれて話すことになる。F先生とTK先生は、私にとってこういう席は初めて。F先生は、大きな飲み会では何度かご一緒しているかもしれないが、こんな近くで同席するのは初めてだ。温厚でありつつも、しっかりして落ち着いた感じのF先生は、今日話しているうち、私より年下であることがなんとなく分かった。普段、あまり年とか意識しないのだが、ちょっと自分が恥ずかしくなった。TK先生は、私と養成講座でまず出会っているので、こうやって同僚として同席するのは不思議な気がする。でも、彼女はこの半年間、本当にがんばっていて、今はうちの校舎の日本語コースの主力として働いていらっしゃる。ベテランのD先生からも、「素直でよく吸収している」とお褒めの言葉をいただいていた。謙虚で明るくて愛嬌がある。

     その日は本当にあっという間に時間が過ぎた。やっぱり、仲間とわいわいやるのはいいなあ。他にも呼びたい人はいっぱいいたのだが、H校のM先生とかO先生(全然会っていない)、S校のCH先生などなど、みんなで集まるのは難しい。もう10時を回っていたので、解散した。3時間ほど話したのに、まだ全然話したりない気がした。

     専任講師になって、もうすぐ2年になろうとしている。ドミニカから戻って、今の自分でいいのか、という問いがいつも頭の中を駆け巡っている。何だか集中できなくて、風邪も治り切らず、仕事で最近ミスが多い。みんなどうして日本語教師になったのだろう。何をしたいのだろう。そういう根源的な問いを、みんな一人ずつにしてみたい気分だ。

    December 04

    トレス・オホス(3つの眼)―ドミニカ見聞録(5)

     サントドミンゴ市内から車で約20分ほどで、ボカ・チカ海岸に着いた。昨日昼食を食べたところだ。

     ホテル「アマカ」でone day passを50ドルほどで購入し、腕にその印を巻いた。そのパスは、ホテルのプライベートビーチを夕方まで使用でき、かつホテル内の一部のレストランやバー、シャワー室などが無料で利用できる。ちょっとしたイベントにも無料で参加できるようだった。私たちは利用可能な施設を確認してから、ビーチへ出た。海と太陽のまばゆい光が待ち受けていた。まずバーのビールで喉をうるおしたあと、ピザとカクテルを手にビーチのプラスチックのベッドに寝そべった。残念ながら涼しげな日陰の場所は埋まっていたが、そんなことはおかまいなし。サンスクリーンを塗り、ドミニカの太陽を背中で受け止めた。真っ白い砂浜。鳴り響くサルサやメレンゲの音楽。容赦ない陽射し。私は無口になってドミニカを満喫した。

     OさんとNさんは水着を持って来ず、カクテルやビールを飲みつつくつろいでいた。Fさんと私は交互に海に出て泳いだり砂と戯れたりした。かなり遠浅の海岸らしく、かなり沖まで行ったと思っても、わたしの身長で足がぎりぎりついた。私は泳ぐのが好きだ。背泳ぎしながらプカプカ浮かんでいると、本当に孤独な気分になる。それは、寂しい孤独ではなく、いろいろなしがらみから解放された、自由を満喫する「孤独」であった。世界に今たった一人、この海この太陽を感じているのは。海を一人泳ぐと、周りに人がいたとしても、そんな気分になる。

     バーの隣にちょっとした広場があって、ミニ放送局のようになっていた。そこでは水中エクササイズやサルサ教室みたいなものが随時開催されていた。他のメンバーの話によると、ここドミニカには、ダンス教室はほとんどないそうだ。なぜなら、ドミニカの人々は小さいときから踊りに慣れ親しんでいて、何かあるたびに踊っているからだ。彼らにとってサルサやメレンゲを踊ることは日常の一部であり、それをわざわざ習いに行く人はいない。いるとすれば、外国人だけだ。そういえば、こっちに来てからずっと何らかの形でいつも音楽が鳴り続いている。車の中のラジオはどのチャンネルに合わせてもサルサ、メレンゲ、バチャータ(ドミニカの民族音楽、日本の演歌のようなもの)などが流れているし、海水浴場にはミニ放送局、ホテルの周りもなぜかどこかの家から音楽が聞こえる。この陽気な音楽を聞くと、本当に心の底から活力が湧いてくる感じがした。

     まばゆいばかりの光は長続きしなかった。お昼になって、食べ放題のビュッフェで何度もおかわりをしつつドミニカ料理に舌鼓を打っていると、スコールが来て、昼間だというのに一転して暗くなった。急いで海辺に走り、荷物をレストランまで避難させた。私たちは、それほどあわてもせず、レストランからゆっくり海のほうを見ていた。ビールやカクテルのグラスがテーブルに林立した。キューバ(ラムとコーラのカクテル)のラム酒の濃さは何杯頼んでも、一つとして同じものはなかった。

     雨がやんでも天気はなかなか回復しなかった。私たちは太陽の光をあきらめ、ホテルのプールに移動した。ひょうたんの形のプールをゆっくり泳いで移動すると、その向こうの端に、またバーがあった。Fさんと私はそこでジュースとビールをそれぞれ頼んだ。プールの傍の温水ジャグジーで、私たちはのんびりした。Nさんも加わり、たわいもない話が続いた。(つづく)

    December 02

    トレス・オホス(3つの眼)―ドミニカ見聞録(4)

     サント・ドミンゴ2日目の朝。窓の外は、まぶしかった。時差はもう解消されたようだった。NYでの1泊もあったからだろう。ぐっすり眠れた。

     ホテル「エウロパ」の朝食はシンプルだった。飲み物はカフェオレ、ジュース。カフェテリア形式で、中央にある保温器付きの大皿は、少し固めのスクランブルエッグ、小さめのロールパン、カットフルーツの3つ。スクランブルエッグには角切りのベーコンが入っていたが、卵が何しろ固い。どうやって焼いているのだろう。固いそぼろのようだった。ロールパンもちょっと固め。フルーツは、パイナップルとグレープフルーツ、すいか、メロン2種。私はメロンがあまり好きではないので、専らパイナップルを食した。他のフルーツも一口ずつ。ミキサーで作ったとおぼしき生ジュースがことのほかおいしかった。たぶん、すいかジュース。朝食は旅の基本。しっかり摂った。

     いつもの旅行なら、ちょっと朝の散歩に出かけたいところだが、無理せず部屋で大人しくしていた。この国の危険度が、まだつかめていない。

     約束の9時半に2階の部屋から1階のロビーへ、階段で下りた。階段から下を見下ろしたとき、エレベーターの前に、ホテルマンと日本人女性がいるのが見えた。へえ、私以外にも日本人が泊まっているのか。実は、その人は、Fさんの友人のOさんだった。もう一人、Nさんも加わり、今日は4人で行動する。

     OさんとNさんは、日本からドミニカに派遣されているJICA(海外青年協力隊)のメンバーだ。二人とも30代女性。Oさんは日本語教師、NさんはPCインストラクターとして、ここで活躍している。Oさんには、明日、勤め先の大学での授業を見学させてもらうよう、Fさんを通じて事前に頼んであった。サント・ドミンゴ市内の私立大学で働いている。先月(10月)に赴任したばかりだ。Nさんは、サント・ドミンゴからバスで2時間ぐらいの小さな村の小中学校でPCを教えている。先週ドミニカには、ハリケーン「ノエル」が上陸し、さらにもう一つハリケーンが続いた。約1週間雨が降り続いたそうである。その際、Nさんの村は大きな被害に遭い、水道や電気が止まって生活がどうにもならず、やむなくサントドミンゴまで避難してきた。そろそろ復旧したので、今日の夕方バスで帰るらしい。

     海水浴に出かけるFさんの車の中では、久しぶりに会ったOさんとNさんがJICAのいろいろな話題に花を咲かせていた。豚汁やうどんを作った話も出ていた。意外と何でも日本食が出てくるようだ。Nさんは関西出身で、話がとても面白かった。赴任先の村では相当苦労したにちがいないが、彼女が話しているのを聞いていると、不思議に笑えて仕方がなかった。「ドミニカ人が信じられへんのはなあ、ゴミを川に捨てるんやで。確かにナ、雨が降ってゴミ収集はとまってるけどな、みんなが使う川に生活ゴミを捨てちゃあかん思うんやわ」と言いつつ、彼女は食べていたお菓子のゴミを車の窓から捨てた。Fさんが、「あれ、今誰か窓の外に何か出さなかった?」。Nさん「わたし」。Fさん「だめでしょ、そんなことしちゃ」。Oさん「今、ゴミを勝手に捨てちゃだめって話をしてたじゃない」。Nさん「すみませーん」。FさんはたぶんNさんより10ぐらい年下のはずだ。絶妙の漫才に車の雰囲気が和んだ。

     そうこうしているうちに、最初の目的地、コロンブス記念灯台とロス・トレス・オホスに着いた。旧市街を少し離れ、オサマ川を渡った向こう側の海沿いの公園にあるこの灯台は、とても灯台とは思えない形をしている。四角い白亜のこの建物は、上から見ると十字架の形になっており、夜、建物の上部から上空へ向かってライトが放たれ、曇り空の日には上空に十字架が浮かび上がる。1992年に、コロンブス新大陸上陸500年を記念して建てられたそうだ。その十字架の先端部分は、コロンブス家が3代続いて住んだと言われるアルカサルを指している。コロンブスの骨らしきものも埋葬されているらしい。

     灯台は車から眺めるだけにして、ロス・トレス・オホスを見学することにした。ここは、昔、スペインから来た征服者の手を逃れた先住民のインディアンが隠れ住んだと言われる洞窟である。鍾乳洞になっていて、3つの湖がある。「トレス・オホス」はスペイン語で「3つの目」の意味。その湖から名づけられた。駐車場に車を留めると、例の如くドミニカ人が何人か集まってきて、口々に、「俺がこの車を見張っておく」と言っている。彼らはこれで生計を立てているのか。近くには掘立小屋があり、洞窟からとってきたと思われる鍾乳洞の石のかけらを売っていた。「鍾乳洞がなくなったら観光客が来なくなることに気付かないのかしら」「ほんと、頭が悪いわねえ」「彼らは何考えてるんだろう」みんな、言いたい放題だった。

     地下への螺旋階段を2floor分ぐらい下りると、急に周りが広くなり、そのさらに奥の洞穴に一つ目の湖があった。青と水色の中間の、光るような色だった。コバルトブルーというのだろうか。自然とは思えない際立つ美しさの湖だった。あまりのインパクトに4人とも息を呑んだ。高い天井からときどき蝙蝠が不気味に移動していた。二つ目の湖は、湖というよりちょっと大きなプールぐらいの大きさだった。深さもそれほどではなさそうだ。大きい洞窟の底に水がたまった、という体だ。そこにいかだがあった。いかだで20メートルぐらい移動して洞窟の奥へわたり、ちょっと抜けると空が見えて、そこに四つ目の湖があった二つ目の湖の上にロープを張っていて、そのロープを引く力でいかだを動かすしくみだった。7,80円ぐらいの渡し賃を払って4人で渡った。暗い鍾乳洞の向こうから明るい日差しが見え、そちらへ行くと、四つ目の湖があった。湖面の反射する光と日の光がまぶしかった。この湖は底なしと言われている。ふつうの地面の高さからまっすぐ縦に掘り抜かれた形で、私たちが顔を出した地点、つまり湖面の高さから地上までは20メートルほどあり、その岩壁にはツタやあちこちから出ている大きな木の根が長く垂れ下がって鬱蒼としていた。丸い形に切り取られた空を見上げ、不思議な気分になった。なぜか鍾乳洞の割れ目の奥に、仔猫が迷い込んでいて、人恋しげな鳴き声が愛くるしかった。(つづく)