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December 19 しんぶんし最近、新聞を2紙とっている。日本語教師は所得が低いから、新聞を2紙もとるなんて、なんてぜいたくな、と思うかもしれない。かといって、私は別に2紙とってたくさん情報を得たいと考えているわけでもない。たまたまこうなっただけだ。 もともと朝日新聞をとっていたのだが、些細なことでもめて契約を打ち切ってしまった。本当に些細なことだ。毎月集金に来るお兄ちゃんが本当にだめなやつで、ろくなサービスをしない。私はわざと銀行振り込みにしないで集金に来てもらっている。というのは、新聞の販売所は大体、継続してもらうために何かしらのサービスをする。洗剤やらタオルやら、読売だったら巨人戦のチケットなど、意外とサービス品を持っている。しかし、こちらが何らかのアピールをしないと、奴らはなかなかそれらのものを出そうとしない。今のマンションには10年近く住んでいるが、最初の5年ぐらいは何ももらわなかった。 しかし、ある友人の話が私を変えた。その友達は、私に遅れること5年、この近くへ引っ越してきたのだが、すごいことをのたまわった。「へえ、新聞屋から、何にももらってないの。俺なんか、3ヶ月の契約で、商品券1万円分もらったぜ」ええ~~!私は思わずのけぞった。新聞のひと月の値段は約4000円。3か月分だと12000円である。ほぼ新聞の値段と同額に近い商品券をもらって契約するなんてありえるのか。 その友達によれば、やはりそう簡単には商品券をもらえないそうである。彼は商社で培った交渉術を駆使し、新聞の外交員の訪問を何度か撃退した後、しぶしぶ交渉の機会を与える。そして、彼らが2000円程度の金券で契約を試みようとするやいなや豹変し、どこどこでは?ヶ月の契約でいくらもらったそうだ、などの具体例を出しつつ、金額の吊り上げにかかる。やっぱり産経にしようか、などおどしたりすかしたりして吊り上げていく。そのときのポイントは、決してこちらから「いくらほしい」といわないことだ。あくまで「誠意をみせてほしい」の1点張り。下手なことをいうと、法律に引っかかってしまうらしい。 早速ちょっと試してみたが、かなり難しかった。今まで素直に何ももらわず新聞を取り続けた実績があるし、ああいう交渉は素人には無理だ。ちなみに彼の会社(聞くも立派な大手商事会社だ)では、○○新聞からいくら金券を巻き上げたか、を競っているそうだ。ちょっとしたマネーゲーム化している。 まあ、とにかく朝日との交渉を重ねるうち、ときどき新聞をとめていると、態度ががらりと変わることが分かった。そこで今回も、朝日のサービスが悪かったのを理由に新聞をとめたのだった。 代わりに日経新聞を初めてとってみた。しかし、読者層をかなり年齢高めに設定してある。私だけが感じるのかどうかわからないが、寄稿記事に、やたらめったら回想が多い。どうしてみんなこんなに新聞で回想ばかりしているの?昔をなつかしむ記事ばかりあるのはなぜ?やはり、朝日のほうがいい。文章もうまい。 そう思っていたときに、朝日の外交員が来た。商品券を一万円分出すからぜひとってくれ。3ヶ月だけでいい。 迷った挙句、2紙にはなるが、両方とってみることにした。でもかなりしんどい。疲れのたまっていた先週は、朝全然読めなくて日曜日にまとめ読み。それはそれで面白かった。いつまで続くことやら。 December 10 むらさき 毎日ブログを書こうと思うが、毎日アップするのはなかなか骨が折れる。今週はほぼ毎日書いてはいたのだが、どうしても文章が長くなり、続きはまた明日、と思っているうち、書くことがまとまらず、また新たなネタも生じてくる。たまに軽くて短いものをのせよう。
今日は珍しく一日中ダウンしていた。夕方6時ごろまで、だいたい横になっていた。金曜日はセンター校のクリスマスパーティ、土曜は9月までのクラスの学生と飲みに行く約束をしていて、どちらも12時過ぎまで飲んでいた。お酒を飲んでというより、たくさんの人と話して酔った感じだ。妙に頭が疲れた。
書くことが、少しずつ楽しくなってきたのはいいが、日頃の行動でも妙に頭が冴えるのがやっかいだ。何をしていても、いつのまにかもう一人の自分がいて、「この気持ちをどう表現しようかな」「この事件はけっこう印象的だから、文にまとめてみようか」と、冷静に自分を描写しようとする。小説家や詩人など物書きたちは、いつもそんなこと考えているのかな。少なくとも紫式部は考えていたようだ。彼女の日記のキーワードの一つに「かつはあやし」という言葉がある。たとえば、いい男に心惹かれて夢中になっていても、そういう自分を心の隅で「かつはあやし」つまり、こんなに夢中になる私って変ね、と思うのである。冷めた女、紫式部。さすがだ。 December 07 一流 昭和14年生まれ。今日のデートの相手の生まれ年だ。
何の目的でこの人(仮にIさんとしておく)と会ったのかは行間から各自で読み取ってほしい。
ビッグボックスで待ち合わせた後、とある居酒屋に入って2時間ほどお話した。
彼女と会うのは二年ぶりぐらいだろうか。私は以前、茶の湯の流派の一つ、江戸千家にお世話になっていたことがある。茶の湯の流派のうち、最も大きいのが裏千家、次いで表千家、それに武者小路千家が続く。これが所謂3千家だ。江戸千家は、表千家の流れを汲む傍流だが、江戸前期から続く名門である。因みにお茶の流派は他にも、遠州流、宗偏流(へんの字は、本当はぎょうにんべん)などいろいろある。脱線したが、私はその江戸千家の家元とご縁があって、家元のお弟子さんたち(といっても、全国各地の江戸千家の師範たち)の前で3年ほど文学講義をさせていただいた。Iさんはそのお弟子さんの一人である。
私自身は当時忙しく、結局茶の湯の手ほどきを受けなかったが、はた目で見る分には非常に面白かった。私のように、お茶会に何度も参加しつつ茶の湯の序列に加わらない存在は非常に稀有だ。客観的に茶の湯を観察できたことは得がたい機会だった。
茶の湯は、(これはあくまで私の偏見だが)言葉の格闘技、武士道である。戦国時代に確立しただけあって、戦いの要素を十二分に孕んでいる。挨拶、というと聞こえはいいが、挨拶とはそもそもその漢字を読み解くと、押し合うことだ。相手をもてなす心が茶の湯の基本といえるが、そこでは一切の妥協が許されず、もてなす側も、もてなしを受ける側も(主人と客人)その所作に隙がない。それが、茶の湯だ。
別の言い方をすれば、茶の湯とは、お菓子を食べて茶の湯を飲む、ただそれだけである。ただそれだけのことを、どれだけ楽しめるか、お菓子を見ては相手のもてなしの心を読み取り、それをさりげなく相手に伝え、そして器や部屋の調度にいろいろな趣向をこらしながらお茶をしっかり味わう、それが、茶の湯だ。
Iさんと会って、そんな昔のことを思い出しながら、茶の湯のすばらしさについて再認識した。話は別に他愛のない話で、お互いの近況を知らせながら、実家についていろいろつっこんだことをきかれたり、あるいは将来のことを話したりした。Iさんの娘さんの話などもあった。
Iさんは、酒が回ったせいもあったのか、「どうして国文学を学ぼうと思ったの」「どうして研究者の道をあきらめたの」などの率直な質問を連発し私を困惑させた。でも、私は私で、その答えにくい問いについて考える機会を得て、苦慮しつつも会話を楽しんだ。そんな本質的な問いを発する人が、身近にどのぐらいいるだろうか。本当に面白い。
Iさんと話していて印象に残った会話が2つあった。一つは、ご主人について。Iさんのご主人は、一度お茶会でお目にかかったことがあるが、とてもさわやかで、外見を超えて魂の若い人だった。今日もIさんはご主人の話になると、とてもうれしそうに語っていた。今、どこかの大学院の博士課程に通っているそうだ。御年74歳、定年前の教授連中より年上だそうだ。修士課程から通っていらっしゃるそうだから、本当にすごい。専攻は仏教哲学。年取ってなお、これだけの学びの意欲があることには敬意を表するしかない。さらには、結婚するにいたるのろけ話もおまけでくっついてきた。お互いに別の恋人がいたが、ご主人がIさんとお見合いしてから、Iさんに短歌を贈り、それがきっかけでゴールインしたとのこと。伊勢物語を地で行くような話で、平安文学研究に携わっていた者としては、「いとねたし」といった気持ちだ。その歌をIさんは今でも覚えていて、メモにすらすらと「あいみての君。。。(あえて伏します)」と書いてみせてくれた。和泉式部の百人一首の歌「あいみての後の心にくらぶればゆふべはものをおもはざりけり」を踏まえたところが心憎いばかりである。歌を贈るご主人もご主人だが、それを受けとめるIさんもIさん、本当に幸せそうな夫婦だ。
もう一つは、「一流について勉強しなさい」という言葉だ。せっかくのご縁なので、忙しくはあるものの、Iさんのお教室に通おうかしら、とさりげなく尋ねたら、返ってきたのがこの言葉だった。「家元とせっかくご縁があるのだから、家元にお稽古をつけてもらうのが筋だ。何でも、一流に学び、一流になることが大切だ」との話だった。本当はIさんは、私がIさんの教室に通うことを心待ちにしていたはずであった。しかしそんなことはおくびにも出さず、私のことを考えてのこの発言は、とても胸に沁みた。私は何かを窮めて一流になれるのだろうか。何でもいいから、一流になりたい、という思いをまず抱くことから始めよう。
毎日書いていると、書きたいことがどんどん増える。「て形」の続きはまた今度。「さすが」という言葉についても、紹介したい話が少しある。 December 06 日能試が終わっ「て」① 昨日、日能試が終わった。私は10月からは、直接日能試受験クラスに関わらなかったが、学生の質問は積極的に受けた。
香港人ふたりにじっくり読解問題を教えたのは興味深い経験だった。どちらもよくできる学生だったが、日本人ならまちがえにくいある種の問題に、ものの見事に二人揃って間違えていた。これは、文化の違いが如実に表れていると言えるだろう。ただの間違いとして片付けず、日本人の考え方はこうで、他の国ではこう考える、たとえば中国人が年を取っていることを誉め言葉として使ったり受け取ったりするのに対し、日本人(の若者)は年を取っているからだけでその人に尊敬の念を示すことは(少なくとも)ふつうではない、というようなことを授業で議論してみても面白いだろう。他には、1級を受ける韓国人を何人か教えた。
主に文法の質問を受けつけたが、「文法」の定義は何なんだろう、といつも考えさせられた。1級の文法事項はあまりに数が多く、英語学習でいえばむしろイディオムに近い気がする。中級から文法事項は長めの文型を教えるが、パターンが多すぎる。ふつうの日本人はどれくらい使いこなしているのだろうか。日本の辞書はどのくらい対応しているのだろうか。8、9月に日能試文法クラスを担当したとき、1級のいろいろな教材を揃えたが、その解説はまちまちだった。日本語教育は研究に関してまだ日が浅い分野だから、文法書の類もまだまだ不十分に思える。また、外国人がよく使う、自分の国の仕様の問題集(例えば、韓国人の場合、韓国語で解説が付いた日能試の問題集)は、その国の人が作った日本語の例文のせいか、微妙に意味がずれているものもある。一つ一つの項目について、例文を集め、それらから帰納的に意味を考える、という地道な作業が必要だ。テストをする前に、教える側の土台作りが欠かせないだろう。
一方で、次のようなことも考えた。実は、これらの問題は簡単だ。なぜなら、文法事項の意味が多少分からなくとも、その事項の前後がどのような形で接続するか、に注目すれば、自ずと答えは絞られる、と解説を繰り返すうちに気付いたからだ。たとえば「て形」。意外と「て形」の意味を理解していない学生は多いし、先生のほうもあまり意識しないのではないか。「て形」を使う文型はいちいち挙げるまでもなく本当に多い。つまり「て形」はいろいろな意味を持ちうるわけだが、同じ言葉の形を使う以上、そこには何か共通のルールもあるはずなのだ。
例えば、「て形」の典型的な使い方の一つに、次のようなものがある。
遅れてすみません。
荷物が重くて持てません。
これらは、原因・理由を表す「て」だ。だが、「から」「ので」と完全に重なるわけではない。この「て」は、文末制限を持つ。「~て」の後に話し手の意志を表す表現を持ってくることができない。「荷物が重いので持ってください」はいいが、「荷物が重くてもってください」はだめだ、ということだ。森田良行という日本語教育学者(『基礎日本語辞典』『日本語の類意表現』などの著書あり)の著した『外国人の誤用から分かる日本語の問題』(明治書院)という本では、て形は「前件で示した結果があるために、結果として後件の事情が生ずるという”状態―結果”の因果関係で、”原因・結果”といった論理的判断ではない。」としている。これは、「て形」を含むすべての文法事項に敷衍できるのではないだろうか。「荷物が重くて持てません」は、「荷物が重い」という結果、つまり荷物を持とうと試みたことを前提に、「持てません」という結論を出している。それに対し、「荷物が重いので持てません」になると、「荷物が重い」という事実があって、だから持てない、と結論づけている感じがする。荷物を持ってみたという実感が伴わない。初級文法でよく「て形」の最初に出てくる「~ている」の形も、この考え方で理解できる。動作性動詞の場合、「テニスをしている」であれば、「テニスをする」という動作がスタートしたことを前提に、今続いて「いる」という結果が生まれている、と解釈できる。状態動詞は説明がもっと簡単だ。例えば、「服を着た」という動作があって、そのまま「いる」という今の状態が生じている。(つづく)
December 02 手当て 日本語教師にしか分からないことば。「みんにち」。「みんなの日本語」のこと。「板目」。読み方は「いため」。絵教材のことをこう呼ぶ。「手当てをする」。学習者の弱い箇所を補強するとき、このような言葉遣いをする。どうしてケガをしたのと同じ意味になるのだろうか。不思議な、というか、変な気がする。 December 01 清少納言的 先日、「ブログ文章教室」なる本を買った。文章読本の類の本は20冊以上コレクトしているが、ブログに限定したものは初めての購入だ。はっきり言って恥ずかしい。
もう少し詳しく分析すると、二つの意味で恥ずかしい。一つは、マニュアル本の類を買ってしまった恥ずかしさだ。いい年の大人が安直にマニュアルに頼って文章力をつけようとする浅ましさといったら。そしてそのアドバイスひとつひとつに非常に忠実だったりする。もう一つは、ブログに固執する恥ずかしさだ。こちらは本来、恥ずべきことではないのかもしれない。ブログを開設した以上、ブログを盛り上げるため努力するのはあるべき姿だ。しかし、当初私は、ブログはただの文章修業の場なのだと考えていた。私が書きたいのは日記ではなく、ある程度まとまった文章だった。随筆のようなものを自分のペースで納得のいくよう一つの作品として仕上げ、それを貯めていく、という作業をするつもりだった。
これが、思っていた以上にうまくいかない。ブログはあくまでブログという一つのジャンルとして考えたほうがいいのだろう。ふつう、作品として発表したものは、改訂がきかない。本とか。でもブログは、半永久的に、いつでも改訂できる。不思議だ。どんな気持ちで文章に接すればいいのだろう。いつでも改訂できるからといって、いい加減に書くわけにもいかない。それを読んでつまらなく思ったら、もうこれから読んでくれない。いいものに改訂しても、そのときには読む人がいなくなってしまう。また、ブログを読んでもらうためには、日々の更新が必要だ。これは鉄則。しかし私は、じっくり書こうとし過ぎて、ブログを始めて2ヶ月が過ぎた今も、文章はたったの5本。月に2本ペースだ。
一人で気ままにじっくりと文章を書こう、と考える一方で、人に読まれてなんぼ、という思いもある。文章がうまくなる一番のコツは、人に読んでもらうことである。これは、今やっている作文指導の経験で、骨身にしみている。いくらいい文章も、読まれなければただの紙屑である。こうなったらブログという土俵を研究し尽くしてやろう。
自分のブログを改めて読んでみた。気付いたことが二つある。一つは、結論が臭い。悲しい性だが、作文は何かいいことを一つ言って終わりにしなければならない、という強迫観念があり、万人に反論の余地がないような説教臭いことを述べて終わっている。しかも、最近の文章では、人の言葉を引用するという奥の手を連続で使っている。「至言」というまとめ方まで同じだ。我ながら芸がない。もう一つは、本音が今ひとつ出ていない、ということだ。一つ目ともつながる話だが、どこかまあるくまあるくまとめようとしている。自分の思ったままを言ったり書いたりすることは勇気がいる。清少納言という人の偉大さが、今さらながら分かった。たとえ同性同業者の非難を浴びようとも、自分の意見を貫くことは大変だ。
大学院で研究していたとき、平安文学を専攻していたが、『枕草子』にはほとんど興味がなかった。これは私だけではない。世間の知名度に比して研究の世界で『枕草子』は不遇だ。『源氏物語』の研究者の数の10分の1以下である。それは、ふたつの作品の性格をよく表している。『源氏物語』は、言うなれば富士山だ。日本文学の最高峰にして最大の裾野を持っている。物語や和歌の歴史のエッセンスは一度『源氏物語』にどっと流れ込み、さらに『源氏物語』以後の物語や和歌などさまざまなジャンルの文学に多大な影響を与えている。それに対し、『枕草子』は文学史から屹立している。随筆という新しいジャンルが天才の手によって突然出現したが、追随する者はほとんどいない。『徒然草』や『方丈記』は、同じジャンルではあるが、文体も思想的にも『枕』とはかなり差がある。
ブログのコツは、今のことを書くこと、なるべく毎日書くこと、文の中でキャラクターを確立すること、の3点だそうだ。毎日書くのはどこまで可能か分からないが、たくさん書かないとみえてこないものもある。清少納言的にがんばってみるか。
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