haruka's profileたわわなわたし2PhotosBlogListsMore ![]() | Help |
|
November 29 たわわごと旅行記はちょっと小休止。さすがに毎日書くのはきつい。明日はちょっと地方へ行く仕事があって、準備もあった。 旅行記は小説の体裁をとっている。なぜかというと、できればいろいろな人の感情も描きつつ、私の感じたドミニカを再構成したいと思ったからだ。他人の感情の部分をどうしても想像で補うことになる。すると「事実と違う」といわれてしまうだろう。人の感情なんて、その人にしかわからない。いや、その人にも分からないことが多い。また、もう覚えていない部分は勝手に再構成している。でも、そうやって描いたある種の再構成=虚構こそ、私にとってのドミニカの真実の姿といえる。 最近、長い文をときどき書くようになった。前の、ロイヤル・タイラーの講演会の話は、いろいろな事情も相俟って、反響がかなりあったし、アクセス数が尋常じゃなかった。時間をかけたり、毎日続けたり、という努力が、如実に数字に表れるのは面白い。ただ、一方で、文というものは書けば書くほど納得できなくなる。構成とか下準備、取材、調べ物などをしっかりしないではいられなくなるのだ。でもその時間もない。今回はその代わり、連載形式をとりつつ、新しいものを書くときは、まずなるべく前回の文を推敲するようにした。お暇な方は、続けて読むとき、前の回を読んでみてほしい。以前のアクセス時と印象が若干変わっているに違いない。私は、ちょっとしか文をいじらなくても、ニュアンスを結構変えてしまう。 今、面白い新書を読んでいる。「生物と無生物の間」というタイトルの、講談社現代新書だ。生物学者の書いた本なのだが、この文章がやたら小気味よくてうまい。理系研究者の文章とは到底思えない(というと、理系研究者に失礼か)。理系研究者には、ときどき文のやたらうまい人がいる。久しぶりにそういう人に出会った。野口英世の像がニューヨークの片隅に眠っている話から始まり、日本とアメリカでの野口英世の評価の違いを語りつつ、いつの間にか生物研究の世界に巻き込んでいく。 他に、「「言語技術」が日本のサッカーを変える」(光文社新書)を読んだ。これは、軽い感じなので、一気に読めた。田嶋幸三という、日本サッカー協会専務理事が書いたものだ。サッカー関係者としては著名な方である。解説者として名前を聞いたことがある人もいると思う。この話はまた今度。 風邪を治すため、そろそろ寝ます。 November 28 トレス・オホス(3つの眼)―ドミニカ見聞録(3)旧市街の入り組んだ道を車でかなり迷った。地図では分からなかったが、一方通行の道ばかり。宿泊先のホテルに着いたのは夕方だった。ホテルの名前は「europaエウロパ」。「エウロパ」はスペイン語読みだと思う。ドミニカへ行く前に、彼女が勧めた3つのホテルのうちの一つだ。ここを選んだ理由は、名前。私の中学高校からの友人で、宇宙について研究している人がいて、彼がよく語ってくれたのが、木星の衛星「エウロパ」だった。それを思い出して選んだのだった。チェックインにもFさんは同行してくれた。自分でチェックインを試みたが、フロントの人が話す英語はどう聞いてもスペイン語にしか聞こえなかった。そのフロントの人は、英語が通じない恥ずかしさからか、うつむいてだまってしまった。結局また彼女に頼るしかない。 部屋は悪くなかった。80ドルにしてはまあまあだろう。シングルの部屋で、ふつうにベッド、クローゼットがある。エアコンはついていたが、冷蔵庫はない。テレビはあるが、つけてみると画面に少しsand stormが入っていた。受信環境があまりよろしくないようだ。水道もふつうに出る。ただ、後でシャワーを浴びたとき、お湯の出は悪かった。お湯が出るまでに5分ほどかかった。もうお湯は出ないもの、とあきらめた頃に熱くなった。窓の外は、すぐふつうの家がせまっていた。向かいのアパートの中が丸見えだ。おばさんがベランダに出て洗濯物を干している。その奥で若い女性が食事の準備をしているらしい。ベランダに面した部屋の食卓にお皿を並べている。すぐ隣に住んでいる気分がした。どこから音が出ているのか分からないが、サルサやメレンゲなどの音楽が鳴り響き、遅くまで鳴り止むことがなかった。 2時間ほど休んでいたら、もう暗くなった。Fさんとの約束の時間になった。旧市街のホテル周辺を散策。エルコンデ通りまで来ると、夜でもだいぶにぎやかだ。いろいろな人種がいる。黒人、白人、インディアンっぽい人、黒人とインディアンの間ぐらいの人、などなど。ドミニカ人、という人たちがどの人たちなのか、最後まで分からなかった。Hard Rock cafeの周辺は、夜でも混み合っていた。大聖堂のそばまでいってみたが、しまっていて中は見えなかった。大聖堂の前のコロンブス公園には、何をするでもなくぶらぶらしている人がたくさんいた。今日は休日で人出が多いらしい。王宮博物館や昔の提督の旧邸を改装したホテルのある通りに、パンテオンと呼ばれる建物があった。8時になろうかという時間なのに、特別な休日ということで見学が可能だった。ドミニカ共和国の歴代の提督や、三人の国民的英雄の魂が祭られているとのことだった。わたしたちが入ろうとすると、「俺は公式ガイドだ」といってついて来ようとする人たちが3,4人いた。本当に公式なのだろうか。彼女がスペイン語を話して断ると、すごすご退散した。 古くて荘厳な建物が立ち並ぶラスダマス通りを抜けると、広場に出た。スペイン広場だ。その隅には、コロンブスの子孫が3代にわたって住んだといわれる「アルカサル」と呼ばれる建物がそびえていた。私たちはスペイン広場に面した三つのレストランのうちの一つで食事をした。ドミニカ料理のレストランだった。お昼にかなりたくさん食べたので、私はあまり食が進まなかった。ただ、ドミニカのビール・プレジデントはおいしかった。日本のビールと少し似ていた。お互いの今後の進路とか、悩みなども語り合った。 「何か困っていることある?」ホテルまで歩きながらFさんが言った。「歯ブラシがない」ホテルに備え付けだと思った歯ブラシがない。どうやらこの国ではお金を出して買わなければいけないようだ。Fさんはホテルの部屋まで来て、私の日本からのおみやげを受け取って帰った。私が持っていったおみやげは、パスタのソースのレトルト、インスタント焼きそば。彼女のリクエスト通りだ。それに加え、先週日本で買ったマンガ雑誌「週刊モーニング」、フリーペーパーの「R25」。中華街で買ったジャスミンティーをプレゼントした。 彼女が帰って20分後ぐらいにホテルの部屋の電話がなった。びっくりして受話器をとると、Fさんだった。「さっき、ホテルの人に、歯ブラシのこと頼むのを忘れたから、今伝えたんです。そしたら、50リラ(180円ぐらい)ぐらい渡せば買ってきてくれるって。おつりはチップとして渡せばいいですよ。フロントまで行ってみて」私は涙が出そうになった。そういえば、今日ずっと、いろいろ気を使ってくれていた。日本人なんだなあ、と変なところに感心していた。(つづく) November 27 トレス・オホス(3つの眼)―ドミニカ見聞録(2)(お断り:この旅行記は、私の体験を元にしているが、あくまで創作である。登場人物と実在の人物は直接結びつくものではない。) 車は海沿いの道をしばらく走った。カリブの海が見渡す限り広がる。「カリブの海って、日本やハワイの海と色が少し違うでしょ」そう言われると、なんとなくそんな気がした。深いところで碧が輝いている感じがした。「紺碧」という言葉が、ふっと脳裏をよぎった。しばらく行くと、サントドミンゴ市内へ向かう道と首都から遠ざかる道の分岐点に来た。彼女は右、すなわち首都から遠ざかる道へ進路をとった。道は舗装されているが、道路から少しはみ出すと土が剥き出している。道の両側にはおんぼろの平屋のうちが並んでいた。ハワイの風景をちょっと思い出した。高速道路でもないのに中央分離帯がある。コンクリートの壁が、70センチぐらいの高さまであり、危ない感じだ。道は悪く、人は働きもせずのんびりとしている。貧しい生活が垣間見えた。 やたら人の顔の看板が目についた。彼女に訊くと、大統領選挙のポスターだという。日本と同じふつうの大きさのものが、走っていると50メートル間隔ぐらいに見つかる。それとは別に、特大の看板が時々あった。「あれはリオネール。現職の大統領なのよ」大きさが桁違いだった。汚職が多いが、選挙にも不正があるため、彼は勝ち続けているそうだ。選挙の投票所が急に停電になり、30分ぐらいした後、電気がついてみると、さっきまで劣勢だったリオネール候補の票がいつの間にか逆転していたという。芝居じみた選挙だ。それがまかり通る、これがドミニカの実情だった。「ドミニカ人って本当にバカなんだから」このフレーズが彼女の口癖だと気付くまで、レストランに着く道のりがあれば十分だった。 ボカチカ海岸に着いた。ここは空港に一番近いbeachだ。私たちは、Hilton系列のHAMACA(アマカ)hotelの隣にあるレストランに入った。海のすぐそば、というより、海の上にあるレストラン。ドミニカで初めて入ったレストランがこれか!!あまりのシチュエーションに感動した。私たちの席のすぐ隣は海。覗き込めば、海の底の白い砂も透けて見える。ちょっと沖にはバナナボートに興じる若者たちの喚声とそのすぐ後に輝くような水しぶきが上がっていた。「ドブン」大きな音がした。レストランから直接海に飛び込む男性。なんという贅沢な空間だろう。 私たちはシーフードの盛り合わせを頼んだ。注文は彼女に任せた。彼女は他に、タロイモを揚げたものと、バナナチップ、ライスを頼んだ。ここの人たちは、意外とライスを食べるそうだ。タロイモとバナナが主食で、いろいろな形でサイドメニューに出てくる。バナナは熟す前、つまり青いうちにとって食べるので、甘くない。それを蒸したりつぶしたりして食べる。 久しぶりに彼女と会い、いろいろな話をした。彼女の今の仕事のこと、同期生の消息、私の今の仕事や悩み、などなど。一通りお互いの消息を確認し合ったが、私は完全にグラス1杯の白ワインとこの雰囲気に酔っていた。もうこの瞬間だけで、ここへ来てよかったと心底思った。今すぐ日本へ帰ったとしても、不満はなかった。話題が途切れ黙っていても、何か心地よさが心を程よく揺らしてくれた。波の音が頭の奥のがざがざをかきけしていった。 しかし。お金を払う段になり、私の酔いは一気に覚めた。計算してみると、二人で1万円近くになっていた。なぜか。原因は、ここの消費税にあった。消費税が16%もする上、レストランのサービス料に10%も取られている。さらに、チップまであげなければならない。6000円ぐらいで計算していたものが、想定外の出費に見舞われた。この国での金銭感覚が掴めていなかった私はかなりうろたえた。その狼狽ぶりは、何だかせこくてみっともなく見えたに違いない。 まだ空港での仕事に行くには時間があったので、海岸を散策することにした。まず、ボカチカの海岸通りに出た。飲食店やみやげ物屋が並んでいる。でも半分の店は昼間だというのに閉店していた。完全に空き家になっている店もいくつかあった。観光客あるいは日本人珍しさに声をかけてくる店の人がかなりいた。それをかわしながら、商店街の端まで歩いた。端まではほんのわずかだった。音楽が高らかに鳴りにぎやかだが、人の生活はかなり貧しそうだった。商店街をはみ出したふつうの道に、子ども二人が海のものとも山のものとも分からぬ絵を売っていた。原住民のアートという感じだが、ちょっと稚拙な印象を受けた。ちょっと行くと、また別の絵画を売っている人たちがいた。その絵に出てくる人は、真っ黒だった。それはハイチ人なのだそうだ。ハイチはドミニカ共和国と同じ島の西側の国だ。この両国は複雑な関係にある。 駐車場に戻る途中、HAMACA(アマカ=ハンモックの意味)というホテルのフロントに寄った。明日はここで海水浴の予定だ。このホテルの目の前の海が、ホテルのプライベートビーチになっており、宿泊客でなくても半日自由に遊んだり食事・飲料を自由に取れる1dayチケットがあるそうなので、そのチケットが使える時間や値段などを確認した。ロビーの天井の照明は、パイナップルの形だ。贅の限りを尽くしている。ここのお客たちとさっきの海岸通りの違い。これがドミニカなのだ。 駐車場に戻ると、入ったときに「お前の車を見ておくからな」とわざわざ言いに来た初老の男性が、銃を肩にかけてがちゃがちゃいわせながら、また歩み寄ってきた。「ちゃんと見ていたぞ」「ありがとう」そう言って彼女はいくらかのチップを与えた。それ以外にも何人かがやってきてチップを要求したが、彼女は毅然とその要求を拒否した。「最初にアピールをすることが大切なのよ」それがここでのルールらしかった。(つづく) November 26 トレス・オホス(3つの眼)―ドミニカ見聞録(1)海岸線が飛行機の小さな窓から見えた。島がだんだん近づいてくる。その海の青さに思わず見入った。飛行機を乗り継いで丸1日。ようやくサント・ドミンゴ(ドミニカ共和国の首都)にたどり着いた。 1年ぶりの1週間の休み。どう使おうかいろいろ迷った末、カリブ海の国、ドミニカへ行くことに決めた。理由は、とにかく誰も知らないような国へ行ってみたかったこと、それと、日本語教師養成講座の同期がいたことである。そんな遠くへ行くにしては、休みが短すぎるが、贅沢は言ってられない。行くと決めたからには、何とかせねば。 11月3日土曜、昼過ぎに成田に向かった。京成スカイライナーの窓の景色が、都会から懐かしい農村の風景へと変わっていく。でもその、異次元へと向かう景色の変化に頭の中の変化が追いつかない。生徒のこと、仕事の心残りなど、東京に残してきた浮世の事々・・・。その脳のまま、コンチネンタル航空08便、ニューヨーク(ニューアーク空港)行きB777に乗り込んだ。 ニューアーク国際空港まで13時間のフライトだった。時差も13時間。着いたら、日本を出た時刻と同じ3日の16時過ぎだ。空港からホテルまでの行き方がよく分からない。空港に近いホテルなので、シャトルバスが出ているようだが、なかなか来ない。仕方なくイエローキャブに乗る。ようやく着いた。部屋は値段の割に広めのシングルルームだ。すっきりとした家具の配置。カバンを置くとすぐに体をベッドに投げ出した。昼と夜が完全に逆転して、眠いのか眠くないのかよく分からない。次の朝のタクシーをフロントで頼み、すぐ眠りについた。明日は朝7時の飛行機なので、5時にホテルを出発する。 翌朝、4時45分にロビーに降りた。予定の5時になってもタクシーが来ない。フロントに確認すると、落ち着いた様子でタクシー会社に電話しているふうだったが、そのうちなぜか自分の時計をいじりだした。何をしているのかよく分からなかったが、電話を切ると、私にこういった。「今、4時だ。タクシーは1時間後に来る」さっきいじっていた腕時計を見せた。針は4時を指している。つい数秒前から。ロビーに飾ってある大きな時計は明らかに5時だ。私の視線に、もちろんフロントの男も気付いた。「アメリカでは、11月3日の夜、一時間ずらすのだ」「どうして3日、なの?10月31日とか9月30日なら分かるけど」「I don't know」 そんなハプニングもありつつ、ニューヨークからサントドミンゴ行きの飛行機B757に無事乗った。飛行機の中は、昨日の飛行機と違い、完全に異国だった。日本人は私だけ。機内の放送は英語とスペイン語。英語さえ通じなさそうな雰囲気だった。そういえば、ニューヨークの朝のタクシーの運転手も、スペイン語訛りの強い英語をしゃべっていたようだった。さっぱり聞き取れなかった。約4時間のフライト。目的地まであとわずかだ。 サントドミンゴ空港は、国際空港だがそれほど大きくない空港だった。海の青さが際立っていた。温度が分からないが、たぶん暑いのだろうな。長袖のシャツの上に黒いジャケットを着た私は、およそここには不似合いな格好だった。飛行機を出て、入国審査に向かおうとすると、私を呼ぶ声がした。「はるかさん」空耳かとも思ったが、よく目を凝らすと、そこには養成講座同期のFさんがいた。 「どうして?」「私、こういうのが仕事なんです。日本からお客さんが来たら、このパスを使ってここまで入り、送り迎えするんですよ」彼女はそういって、そこから案内をしてくれた。入国審査は、誰も並んでいない、飛行機のクルーや特別な人だけが使用していると思われる審査ゲートへ連れて行かれた。「どうせひまそうにしてるんだから、いいのよ」そういうので、言われるままパスポートを出した。何か質問されたが、彼女がスペイン語で全部答えてくれた。彼女はスペイン語がペラペラなのだ。だから、大使館の派遣社員の募集にパスして、ここにいる。 到着ロビーを抜けて、空港の駐車場へ。時刻はちょうど11時を過ぎたころだった。この時期はニューヨークとドミニカの間に時差がない。「3時過ぎに空港でお迎えの仕事があるんだけど、どうします?疲れているようならホテルに行くし、疲れていないようならこの近くでお昼を食べて、仕事を済ませてから市内へ行こうと思うんだけど」疲れよりもこの国に対する興味がまさり、躊躇なく食事を選んだ。 車は1500CCぐらいの普通車だった。「この車、買ったの?」「そうなのよ。前任者から買ったんだけど、意外と高かったのよ」彼女は大使館で働いていて、アテンドの仕事をしているから、車は必需品である。しかし、外務省からお金は出ないので、自腹で買うしかない。前任者は100万弱の値段で売った。それを最初は高く思ったが、そんなに悪くない買い物らしい。なぜならこの国では車が貴重品で、たとえ中古でも、その車を売る2年後に、8割ぐらい(つまり80万弱ぐらい)の値段で売れるそうだ。(つづく) November 18 歌舞伎とか先週はバイオリズムがよくなかった。旅行から帰って、何か歯車が狂っているらしい。仕事がつまらなく思える。人間関係がうっとうしい。風邪でだるい。 先週はかなり寝たはずだ。風邪を引いていたので、なるべくたくさん寝ることにしていた。11時には寝て、毎日7時間以上寝ていた。でも、今日も歌舞伎を見ながらうとうとしていた。昼の部は3分の1ぐらい寝ていた。よく寝るなあ。能の演目に似たのがあったから、よく寝られた。能っぽいのは絶対にα波が出ている。 今月は夜の部がよかった。よく知られている演目ばかり。忠臣蔵の9段目は、松本親子(幸四郎と染五郎)と吉右衛門が揃い踏み。親戚同士で親子やら敵やらを演じていた。これが本当によかった。やはり呼吸が合うのだろうか。一方、ちょっと肩透かしだったのは、夜の部最後の「三人吉三」。例の名台詞の名場面で、みんながこれを楽しみにしていたのだが、今ひとつ台詞がそれぞれの役になじんでいないようだった。お嬢を片岡孝太郎、お坊を染五郎、和尚を松緑が演じた。それぞれ悪くはなかったのだが、この組み合わせは初めて見た。 11月は顔見世歌舞伎なので、松竹梅の舞台づくりが多かった。正月気分を若干味わった。もう正月か。何だか今日はつぶやきになってしまった。旅行記なども書きたいのだが。 November 11 sleeeeeep金曜の夕方、うちにたどり着いた。予定より1時間ほど早い3時前に飛行機が到着したので、うちに着いたのは5時ごろだった。まずメールをチェックし、必要のある何人かに返信した。ドミニカでお世話になったFさんにもメールした。飛行機の中であまりまとめて寝られなかったので、そのあと6時から寝た。時差は13時間あった。ほぼ完全に昼と夜が逆転だ。 夜の12時過ぎに起きた。あまり寝られなかったようだ。土曜は大学の仕事がある。もう少し寝ておかなきゃ。準備もあるので、7時には起きたほうがいいかな。でもその後全然寝られず、お腹もすいたのでコンビニへ行った。外は雨だった。コンビニで雑誌に読みふけるうち、あっという間に3時を過ぎた。食べ物を買って帰ろうとしたら、傘がなかった。ドミニカより日本のほうが、よっぽどマナーが悪い。衣食足りて、どうしてこんなに礼節を知らないのだろう。小ぶりの中を歩きながら思った。 大学での授業を終え、本を読み散らしながらゆっくりしていると、もう夜12時近く。何もする気がおきず、そのまま寝てしまった。 日曜の今日、起きたら12時近く。およそ12時間も寝た。でもまだ頭はボーっとしている。疲れはとれたのだろうか。そろそろ明日からの備えをしなきゃ。 November 03 旅行の前にもうすぐ、久しぶりの海外旅行に出かける。 基本的に旅行は好きだ。面倒な部分もあるが、年々衰える感性が少しは蘇る気がする。 今回の旅行では飛行機の時間がべらぼうに長い。それで、今、飛行機の中で読む本を選んでいる。今自分がいる世界と違うものを、と思ったのだが、結局、積ん読で待機している本は日本語関係の本ばかり。小説とか探してみようかな。 古典文学を持っていく手もある。そろそろ連句の会を始動させる計画もあるし、最近、タイラー氏の講演を聞いて、くすぶっていた火が赤々とし始めた。ショックだったのは、昨日、ある非常勤の先生(M先生)から、源氏物語の内容についての質問をされたのに、即座に答えられなかったことである。葵の巻の車争いの場面で、あの祭り見物はどういうお祭りだったのか、六条御息所の娘が斎宮になったことと関係しているなら、お母さんの御息所は予めいい席で見られたのでは、という質問だった。葵祭りは京都の祭りで、六条の娘の斎宮は伊勢神宮と関係が深いから、その意見がおかしいことは分かったのだが、葵祭りがどういう祭りだったか思い出せない。正直にその旨を述べたが、M先生が去ったあと、すぐネットで調べ、賀茂神社の祭りであることが分かった。ああ、そんな簡単なことも忘れてしまったのか。・・・・。 そんなことも含め、自分に何が必要なのか、何を感じて生きたいのか、ゆっくり考える旅ができるといいなあ。 |
|
|